| 1973年1月 |
Shantu Larmaの指導のもとに、PCJSSの戦闘集団としてシャンティ・バヒニ(平和軍)が結成される。最盛期には5,000人から7,000人の規模に。 |
| 1973年2月 |
Mujibur Rahman大統領はチッタゴン丘陵県を訪問して、「今日より、先住民族を含むすべての人びとがベンガル人とみなされる」と演説する。 |
| 1976年〜 |
Chittagong開発局が設置される。政府の指導のもとに、ベンガル人のChittagong丘陵県入植がおこなわれる。83年までに約40万人が移住。 |
| 1977年5月 |
シャンティ・バヒニによる猛攻撃開始、政府軍が増強される。 |
| 1977年7月 |
先住民族代表者協議会とZiaur Rahman政権が協議
(78年12月15日までに計4回) |
| 1980年3月 |
Kalampatiの仏教僧院で銃撃戦、約300人死亡(1回目)。 |
| 1981年6月 |
Manraibari-Beltali-Belchariの虐殺。数百名死亡(2回目) |
| 1981年9月 |
Telafang-Ashalong-Tabalchariの虐殺。数百名死亡(3回目) |
| 1983年7月 |
Golakpatimachara-Machyachara-Tarabanchariの虐殺。
約800名死亡(4回目) |
| 1984年1月 |
シャンティ・バヒニが石油会社Shellの外国人技術者5人を誘拐。2月29日85万タカ、4000ドル、600ポンド、金塊19キログラムなどの身代金で5人を解放。 |
| 1984年3月 |
Bhusancharaの虐殺。約400名死亡(5回目) |
| 1985年10月 |
Ershad政権とPCJSSの初めての交渉がおこなわれる。
(88-12-15までに計6回) |
| 1986年5月 |
Marirangaの虐殺で約70名死亡。(6回目。インドに避難しようとしたさらに200人を国境警備軍が射殺) |
| 1986年5月 |
Panchariの虐殺、数百名死亡。(7回目。8万人がインドで難民に) |
| 1986年5月 |
Comillatilla、Taindongの虐殺で、約200名死亡(8回目) |
| 1988年8月 |
Hariachar、Sarbotali、Khagrchari、Pablakhaliの虐殺で、数百名死亡(9回目) |
| 1989年2月 |
チッタゴン丘陵県地方政府評議会法制定。 |
| 1989年5月 |
Langaduの虐殺40名。(10回目) |
| 1992年4月 |
Logangの村で、少数民族とベンガル人が武器をもって衝突、400人死亡。
(11回目) |
| 1992年8月 |
PCJSSが休戦を宣言する。これ以降、休戦期間は35回にわたって順次延長され、現在の休戦期間は97年12月31日まで順次延長された。 |
| 1992年11月 |
Khaleda Zia政権代表Oli AhmedとPCJSS代表Shantu
Larmaの初めての交渉がおこなわれる。(95年10月25日まで計13回) |
| 1992年11月 |
Naniarchar虐殺事件、約90人死亡。(12回目) |
| 1996年12月 |
チッタゴン丘陵国家委員会とPCJSSの初めての交渉がおこなわれる。
(97年11月26日まで計7回) |
| 1997年12月 |
Chittagong丘陵県和平協定調印。 |
| 2003年8月 |
モヘリチョリ郡でベンガル人が先住民族の村を襲撃。400世帯の家が焼かれる。 |